極上な文学としての『ドグラ・マグラ』

構想・執筆に10年以上の歳月をかけているだなんて、まるでブラームスの交響曲1番じゃないか。実は私は学生の頃、某大型レコード店でアルバイトをしたことがある。と言っても店員として働いていたのではなく、季節労働者として。インターネットはまだない時代だ。仙台だったか新潟だったか、どこの都市だったかは忘れたが、大型店舗オープンを控えていた中、なんでも商品群の用意や値付け、バーコード発行やらは東京で済ませて梱包、ダンボールで現地店舗へ搬入、あとはダンボールに入っている通りに棚に並べるだけという状態にするという仕事だった。

そして当時は円高、主力商品は輸入盤だった。輸入盤には日本語表記が一切無い、自分はクラシック担当になったのだが、そこで何と手書きで管理番号と指揮者名、曲名、オーケストラ名をひたすら何千枚分ものCDについて書く、書く、書くというお仕事、まさに書きまくった。牧歌的な仕事だ。

そして自分は違いもわからず「交響曲」「協奏曲」「管弦なんちゃら」だの、後にも先にもこの時ほど、響という字を書いた日々はなかった。奏でるなんて漢字も日常生活では使わない。管弦もね。そんな写経のようなお仕事はまさに『ドグラ・マグラ』そのものだったのではないか。

20140416

手元にある文庫版の『ドグラ・マグラ』昭和51年初版で平成13年の51版の上巻をおもむろに開いてみる、P144ページだ。

スカラカ、チャカポコ、チャカポコ、チャカポコ、チャカポコ。。

とある。忘れようと思ってもチャカポコは忘れられまい。

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